番組制作会社の派遣でテレビ局、本の編集プロダクション、ツアー販売会社のコンテンツ部署、インテリア系WEBメディアのコンテンツ部署に勤めてきた8年間。それぞれの転職のときにどんなアピールをしたか、その後どんな働き方をしたかをここに書き留めたいと思います。
新卒でテレビ局のADに。ADになったきっかけと就活
本やテレビ、映画が好きだったのもあり、大学はメディア系列の学科を専攻していました。就活では出版社と番組制作会社、芸能プロダクションのマネージャー職などを受け、最終的に番組制作会社に就職することに。就活の面接では、「どんな番組を作りたいか」という質問に、オリジナルの旅行番組のタイトルと内容を答え、「最後にアピールしたいことはあるか」と聞かれたときには、大学時代のメディアに関する論文や授業で使った自己アピールの資料、プライベートで書いていた映画のレビュー集を提出しました。
就職後に社内研修を受けたのち、某民放テレビ局にADとして派遣され、WEBのニュース番組を立ち上げるチームに所属。24時間ニュースを配信する番組で、そのうちの生放送枠に私含めAD10人(男性2人、女性8人)が振り分けられました。1番組にプロデューサー1人、ディレクター2人〜3人、AD2人〜3人ほどです。ここからは、朝と夜の番組の担当になったときの1日の流れを紹介します。
朝のWEBニュース番組・時事ネタなど情報番組 |
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・ADが朝刊の新聞をとってきてディレクター(以下D)やプロデューサー(以下P)に配布 |
・取り上げるネタが決まったらADが新聞をスキャンし、パワポにデータを取り込む |
・Dがパワポ案を考え、ADはその指示に沿ってパワポに地図や画像、図、テキストなどを入れて放送で解説に使う資料を作成 |
・Dからニュース映像の取り込みを依頼されたら、使う分数やそのときに必要なテロップ案をメモ。映像部屋で編集を行う |
・放送で使うテロップを用意し、ニュースの途中で入る天気予報の原稿を印刷しておく |
・出演者打ち合わせの準備、出演者用の飲み物やお菓子の用意 |
・【生放送中】追加で原稿や映像が必要になる場合があるので、ADはテロップPCの前とディレクターの近くで待機 |
・【災害などの緊急時】「〇〇で震度3」などのテロップ、アナウンサー用の最新情報の原稿などを印刷して渡すなどの対応が必要 |
夜のWEBニュース番組・エンタメや地方創生、SNSネタなど |
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・プロデューサー(以下P)が昼刊のニュースや新聞を見てネタを考え、ディレクター(以下D)と相談 |
・Dから依頼されたパワポや原稿、映像を準備 |
・(私が担当になった番組は)視聴者投稿映像の特集、クラウドファンディングを紹介するコーナーがあり、その台本と取材をADが行っていた |
・AD2人のうち1人は特集コーナー、もう1人がディレクターにつく形で番組の準備を行い、台本ができたら出演者と打ち合わせ |
・【生放送中】朝の番組と同様、テロップや映像の追加対応 |
・特集コーナー担当のAD:スタジオでフロアDとして流れをカンペに書いて指示orサブ(音声さん、映像やテロップを切り替えるスイッチャーのいる調整室)のディレクターとして映像やテロップを指示 |
このような形で、あくまで私が配属された番組ではADもディレクターのようにコーナーのネタ出し、構成を考えて台本におこし、放送中も指示出しをしたりといろいろな業務をさせてもらいました。たった2年でしたが、最初の1年は夕方に起きて終電で局に出勤し、仕込みを終えたら会社で仮眠、朝の放送を終え、昼に帰る生活を送っていました。
残りの1年は昼と夕方の番組を担当し、台本を書くコーナーを持たせてもらう、という感じで、あっという間に過ぎていきました。
私はというと、その台本作業を経て、次第にディレクターではなくライターになりたいという気持ちを持つように。
新卒3年目の24歳の4月、番組制作会社からツアー販売会社のコンテンツライターへと転職しました。
ツアーページのライター+本の編集アシスタント+本屋バイト
ADからライターへの転職を考えはじめた1月に、主婦のための仕事検索サイト「しゅふJOB」でライターの仕事を探していると、契約社員でツアー販売会社のコンテンツライターの募集を発見。その仕事はツアー販売ページ(ツアーのスケジュールや観光スポットの説明、価格、持ち物や注意事項など)を作成、編集するというもので、旅行も好きだったので2月上旬に応募しました。
ADとして台本を書いていたことなどを自己アピールの資料としてまとめ、面接へ。
2月中旬に決まり、入社前に会社の雰囲気を見たかったので見学を依頼しました。
東京駅のビルの2階にオフィスがあり、きれいな社内を案内してもらい、ここで働きたいという気持ちが高まっていきます。
配属予定のコンテンツチームの女性2名とランチに行き、きれいで優しい、親しみやすい人たちだったので、その日に入社を伝えました。
転職をするときは、会社見学をすることをおすすめします。できれば自分が配属される部署の人と話す時間もとってもらえると、安心ですね。
ツアー会社のライターは契約社員だったので、副業として前から興味のあった本の編集プロダクションのアシスタントもすることに。
こちらは、ADのときに局のプロデューサーに転職する旨を伝えた際に紹介してもらいました。人脈も転職に必要で、仕事のジャンルを広げてくれるもののひとつです。同じプロデューサーに、お気に入りの本屋も教えてもらったのですがそのお店がまた素敵で。24歳だった私は後先を考えず、平日3日はツアー会社、2日は編集プロダクション、平日の夜と土日どちらかに本屋、というスケジュールで働いていました。
大変だったのが編集アシスタントです。プロデューサーの知り合いの女性編集者が1人で事務所を経営し、アパートの1室が作業部屋でした。編集プロダクションの仕事は以下のようなものを経験させてもらいました。
イケメン特集の本 |
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・芸能事務所に画像とプロフィールの使用許可を100人以上行う(電話+メール) |
・画像やプロフィールデータをシートにまとめ、1人1人の紹介文をライター4名で振り分けて作成 |
・紹介コーナー以外にも、舞台俳優や恋愛映画、少女漫画、お笑い芸人などの特集ページがあったのでそれも担当を分けて文章を作成、必要な画像を映画会社などに借りる |
・デザイナーに依頼、全員で校閲(赤字を入れる)の繰り返し。表紙のデザインを決めて仕上げ |
・まえがきや編集後記、書籍・制作スタッフの情報を入れる |
芸能事務所の人とのやりとりは大変で、断られたら別の人を探し、またオファーする日々。オファーしながら特集ページの文章を考え、出来上がったページから校閲をしていく。1日がとても短く感じ、頭をフル活動させるため疲れも今までに感じたことのないものでした。
そうなると、ツアー会社や本屋の仕事が私の中で癒やしの時間へと変わっていきます。本の編集の仕事は常に忙しく、並行して行う作業に追われ、スタッフ全員に心の余裕もありません。上司(女性編集者)も「この間言ったあれ、できた?」「2回同じこと言わせないで」といった口調が当たり前で、精神的にも辛い日々が続きました。校閲や撮影補助だけのものも含め、1年間で7冊の本の製作に関わらせていただき、新鮮な経験ができたのは事実です。大好きな女優さんのインタビューに同行させてもらえたこと、有名アーティストに直接取材させてもらえたことなど、なかなか経験できないことを学ぶことができました。
7冊目の本の製作がはじまったときに、精神的にもきつくなり、それまでの業務に関するお金をもらっていなかったこともあって、プロダクションから離れることを申し出ました。本業のツアー販売会社のライターに専念したい、と女性編集者に報告し、もちろんお金も支払っていただきました。いつお金が入ってくるかもわからず、ただ業務をこなしていくのは初めての経験。
エンタメ業界を目指している方は、業種や所属会社などにもよりますが、「報酬が少なくてもかまわず、身を削って働く」のは相当な覚悟と忍耐が必要だということをぜひ覚えていてほしいです。好きだったことが嫌いになるような働き方はせず、自分の体と心を一番大切にするべきだと、私はこのとき実感しました。
ツアーページのライター、本の編集と並行して、週1日〜2日ほど働いていたのがカフェを併設している個人経営の本屋でした。
ご夫婦で経営されていて、ご主人がオーナー、奥様がカフェをやっていて、私はアルバイトとしてレジ打ちやカフェの手伝いをしていました。AD時代のプロデューサーからおすすめされた本屋で、はじめて面接で訪れたときに「ここで働きたい!」と感じたのを今でも鮮明に覚えています。平日の21時ごろまで営業しているので、19時前後のシフトで入って店の締めやカフェの片付けを行い、たまにまかないをいただいたりと、とても心が落ち着く、休まる時間でした。平日の夜は著者のトークイベントがあったり、土日は2階のイベントスペースで古本市をしていたりと、様々な交流が楽しめる本屋、というのも私が3年ほど働き続けた理由のひとつです。
ブックカバーを折ったり、配送用に本を包装したり、書籍のリストを更新したり、天気のいい日には窓やドアを拭いたりと、体を動かす仕事は頭をリフレッシュさせてくれます。
本屋での仕事をきっかけに、休日に都内のブックカフェを訪れることもありました。
神保町のブックカフェや神楽坂のブックバーなど、お気に入りのお店が一気に増えたのもこのときです。
本の編集アシスタントを終えてからも、こちらの本屋のバイトは続け、ツアーページのライターがない日に入っていました。副業で自分の興味のある仕事をしたい人は、融通が効くか、移動がしやすい場所にあるか、自分がいなくても仕事が回る環境か、というのも気にすると、無理せず働けると思います。こうして、私は24歳から27歳までに3つの仕事を経験し、夢中で駆け抜けました。
旅行業界の危機!コロナの影響でインテリア系のライターへ転職
ツアーページの仕事が順調だった2019年。コンテンツマーケティングの部署が新しくでき、メルマガやLPなど業務の幅も広がって後輩もたくさんできました。そして2020年1月、コロナウイルスのニュースが飛び込んできました。
中国の第一報を聞いたときはどこか他人事でしたが、2月になるとリモートワークの日が増え、3月にはフル在宅に。どんどんと状況が変わり、あっという間に海外旅行ができない状態に。それどころか、国内でも自由に外出するのが不安になる日々が続きました。
週5日だったリモートワークが週3日に減り、残りの2日は半分のお給料でOFFに。幸い、本屋は配送の注文が増え、お店に来る人こそ減ったものの、今までにないほど本の注文が殺到しました。
私は本屋のバイトを増やすようになりましたが、本業のツアー販売会社での勤務日が減ったため、総合的にはお給料が減る日々。不安を抱えたまま迎えた2020年の12月、会社の半数のスタッフが出向を言い渡されました。
私もその一人で、出向先を即座に確認。ホテルの受付や不動産など、全く関わったことのない業界、職種ばかりで、私は通告を受けたその日に転職サイトで応募をし、数日後に面接へと向かいました。
面接を受けたのは2社で、いずれもインテリア系のWEBメディア。それまでの業務と大きく変わらず記事コンテンツに携わることができ、旅行以外のジャンルもやってみたかったからです。まずはアルバイトで働き、正社員登用に積極的な会社に入ることを決めました。
このときも、AD経験や本の編集、ツアー販売会社で関わった記事やLPを資料にまとめて提出。無事に採用いただけることになりました。
今思えばアルバイトでそこまでアピールする必要はない?のかもしれません。転職のたびに行なってきたアピール方法だったので、資料をまとめるのも年々慣れていきました。
2社のうち正社員になれる可能性が高い方の会社に入り、コンテンツライターとして働くことに。
コロナの影響もあり、しばらくは週2日〜3日がリモートで、週2日ほどオフィス勤務でした。そこでは通販で買える家具や家電、生活雑貨などを紹介する記事の執筆、校閲、記事の構成を担当させていただきました。
色々な業務をさせていただけたのもあり、1年後には正社員になりたいという意志を伝え、29歳の年に正社員としてマーケティングについて学ぶことに。自分より若い社員さんが多く、刺激をもらう日々でした。家具メーカーに取材に行ったり、PVにつながる企画を提案したりと、29歳になってはじめて挑戦することが多かったのはありがたい限りです。
ひとつ前のツアー販売会社もコンテンツマーケティングでしたが、別の担当者が記事の分析をやっていたのもあり、こちらの会社でマーケティング業務をメインでやらせていただきました。転職の良さは、選ぶ業種や会社によれど、新しい環境と人との関係性の中で発見が多いことがひとつあります。
エンタメ業界の一部ではありますが、WEB番組、本の編集、ツアーページのライター、インテリアWEBメディアのマーケティングを経験させていただきました。全ての職業に言えることですが、どれもやってみなければわからなかった業種ばかりです。
自分がこれをやってきた、と面接で躊躇なく話せる仕事、経験を積んでいけば、転職に必要なものを準備するのにも慣れていきます。
環境と人に恵まれていたことが大きいですが、これからも働く先々で自分がはじめてやること、やりたいと思うことを大切にしていけたら。
この記事を書きながら、改めて感じました。